τὸ Μίττου Γραμματείδιον

«τὸ Μίττου Γραμματείδιον»とは、Μίττονのγραμματείδιον(物を書くためのタブレット)のことです。

オタクは愛を韻律にのせろ

この記事は、筆兵無傾 Advent Calendar 2022 - Adventar 第11日目の記事として書かれました。

アブストラク

韻文で愛を詠うと楽しい。

本文

オタクには心から離れない存在がいる。時に「業」や「カルマ」とも呼ばれる*1この存在は、オタクの人格的連続性・同一性を規定するものであるにもかかわらず、そこへの感情を吐露する方法が日常の言語に殆ど存在しないという点で、オタクの精神に本質的困難を生じさせる。

しかし日常の言語を奪われたとしても、人類には未だ2つの媒体が残されている。非日常の言語と非言語である。ここでは、前者の代表例として韻文をお勧めしたい。韻文とは、聴覚的効果を重視した言語表現のことであり、韻文を書こうとすることは、言語の木構造と言語の線状性の緊張関係において敢えて後者の側に立つことで、言語化できないものの言語化できなさをそのまま言葉にしようという試みを促しうるからだ。

韻文一般について古賢の言葉に付け加えるべきことを私は持たない。そこで、議論はここでやめて、現世言語と悠里言語で私が感情を吐露した様を曝して記事を終えよう。

韻文の例

以下は、私が業を得たときのことを様々な言語で詠ったものである。

日本語(短歌)

現代日本語訳:(あなたと出会った)海の/思い出せない/青さよりも、/ありがたく光っている/あなたの(青い)瞳よ。

パイグ語(クッブーム)

現代日本語訳:私はあなたに心引かれることができるようにさせられたので、/(あなたの)輝く瞳は必ず私に強い炎を与えるのです。/川*2での色を私はふと思うな。/いつであろうとも、あなたが青色を冠しているのだから。

リパライン語(十二音節詩)

現代日本語訳:私の見た海、幸運の場所の色は、/既に時によって私の心から奪われた。/しかし、私の出会った人は、高貴な瞳とともに日常をしている、/あなた様が歓喜を与えたこの心で!

バート語(シャハバート)

現代日本語訳:私の見た海の色を、/多くの明るい見通しの後で私は思わない。/{私が心引かれた|輝く}女性を突然に見て、/ちょうどその瞬間に彼女のすべてが視線において生き始めた。

ラテン語(エレゲイア)

現代日本語訳:美しい海岸は甘く、よろこぶ私を満たした、/しかし大きな贈り物のゆえに、私はもう(その)水を覚えていない、/というのも美しい女性が海で、アズライトの稲妻とともにそのとき/私を、哀れな心のすべてを捕らえたからだ。

サンスクリット(シローカ)

現代日本語訳:親切をする海の色を、/私が今思うことは決してない。/その記憶を追いやったのだ、/贈り物がサファイアの輝きによって。

*1:近年は「推し」という語がこの概念を表すのに用いられるという報告もあるが、この語には「資本主義的な仕方でキャラクター性が大量に流通するという状況において、自身のキャラクターへの執着そのものを交換可能なものとして消費する」というニュアンスが感じられ抵抗がある。

*2:【水】は誤り